小林えみのブログ

本の紹介やその周辺、社会のこと

「セーファースペース」と名乗るかどうか カタカナ語へのためらい

「マルジナリア書店はセーファースペースですよね」

とお客様に何度かお話の中でお尋ね頂きました。

 

セーファースペースとは「差別や抑圧、あるいはハラスメントや暴力といった問題を、可能な限り最小化するためのアイディアの一つで「より安全な空間」を作る試みのことを指す。
堅田香緒里『生きるためのフェミニズム パンと薔薇の反資本主義』タバブックス、2021年

 

ポイントは「安全な(safe)」ではなく「より安全な(safer)」を指す、ということです。(文章は要約していますが、意味の出展は、堅田香緒里「セーファースペースとは」『セーファースペース』タバブックス、2023年、です)

 

マルジナリア書店でも準じるような取り組みや姿勢を前提としており、意図は全面的に賛成です。また、そうして「セーファースペース」を名乗って活動されている皆さんを尊敬しています。
そこへ水を差すようなことは避けたいと考え、明言を避けてきたのですが、最近、冒頭のような問いかけを頂くことが続き、悩んだのですが、自分の考えを表明するために本稿を書いています。

 

今回の「セーファースペース」に限らないことですが、リベラルな用語が「カタカナ語のまま輸入されること」への抵抗がありました。
まず、私自身、「safer」「space」という英単語を知っていましたが「safer space」という意味は上記を読むまでわからず、そして今も「より」というニュアンスを「体感」できてはいません。

私は日本語を母語としていて、その他の言語はネイティブに準じるほど使えるものはありません。英語も「知っている単語」と「知っている文法」を組み合わせて「なんとなくの読み書き」はできますが、ネイティブから見たらおかしな和製英語があったとしても、それに違和感をもてるほどの習熟をしていません。

これは私の個人的な状況ですが、いまだ多くの日本出生者は同じような感覚であろうと思います。

世界ではどんどん英語がリンガフランカ母語が異なる人々の中で共通語として使われる言語)として発達しています。日本も英語教育にますます力をいれており、昭和生まれ(1978年生まれ)の私とは、今の中高生、またこれからの子たちは私とは違う言語感覚でしょう。そして、日本語はやがて消滅すると思います。

【日本語が「消滅の危機」にある理由、世界で9番目に話されているのになぜ?
山口仲美:埼玉大学名誉教授】https://diamond.jp/articles/-/328344

私は、消滅自体を止めたい、という気持ちは強くありません(残念ではありますが)。また、現在の「日本語」も韓国や中国を中心にさまざまな国の言葉を輸入して出来た言葉であり、一切のカタカナ語や輸入語を排除したい、とは思いません。

それでも、ここでそのことを指摘する意味は2点あります。

①誰にとってのセーファースペースという言葉か

②(消滅が見えていたとしても)言語や文化の多様性も志向しているのがリベラルではないか

 

①誰にとってのセーファースペースという言葉か

私自身のこととして書きましたが、以前、多くの日本出生・在住者が日本語以外を流暢に話す、ということではない状況だと思います。そのときに、結局、「知っている人だけの隠語」的になってしまうカタカナ語に、意味があるでしょうか。

いま、日本で日本語話者のマイノリティへ向けて発信するのに、カタカナ語は障壁とならないでしょうか。

もちろん、英語の方が通じる場合もあるでしょう。それであれば、( )で補えばよいし、「日本語話者以外も大勢いる」ということに関しては、カタカナ語を使う理由にはなりません。それであれば、英語・中国語・韓国語・ポルトガル語スペイン語併記などの対応が考えられます。

 

②(消滅が見えていたとしても)言語や文化の多様性も志向しているのがリベラルではないか

リンガ・フランカ(としての英語)がもっと普及して、マイナー言語にわざわざ翻訳する必要はない、という立場であれば、見解の相違ということで、それ以上議論をすることはありません。ただ、「セーファー・スペース」という語などを推進する立場の人の多くは「文化の多様性」にも賛同をされるのではないでしょうか。

このことに関しては、私は多くの、リベラルな立場をとる日本人研究者の怠慢として糾弾(という強い言葉をあえて使います)したいと思います。

なおセーファー・スペースに関して、堅田氏の言葉を引用していますが、この語だけ・またお一人を対象としてのことではありません。そのひとつとして、近年、「ケア」という言葉が多用されています。この語についても「世話」ではダメなのか、という問いかけに「careという語に含まれる意味を”世話”は含有していない」と言われます。多くの研究者は、私(や多くの日本語話者)と比べて英語を流暢に使うことができ、元の語に対するリスペクトとして尊重する態度であることはわかります。それも必要なことだと思うのですが、それは、永遠に元の言語のゆらぎにふりまわされることになります。元の言語でも、言葉は変化していくものだからです。私たちは概念を、常に輸入し続けなければいけないのでしょうか。

また、私は版元も運営しており、人文系の書籍を刊行しているため、研究者の方たちから「この本を翻訳したい」というご相談を頂くこともあります。それは、もちろん良いことなのですが、この場合も、多くは肝心の主題となる語はカタカナ語のままということが少なくありません。研究者は何を翻訳し、日本に導入しようとしているのでしょうか。

「哲学」という言葉は、西周が翻訳をし、現在日本語として定着しています。当時の社会と現在が違うところは、外国語と接する人数自体は多く、一部特権的に触れた人が翻訳をし、語を広める、という状況ではない点です。

現在は、マジョリティと言えるほど多数ではないとはいえ、日本出生者でもネイティブ同様に他言語を操れる人は少なくありません。そうした中で、研究者が先行的に事例や新語へ触れて「この語はこう訳したい」としても、別の流入口から語が流行ったり、反論があったり、明治・大正の頃より語の定着は格段に困難であることは確かです。また、ある一人の方が「こう訳す」としたときに他の研究者たちからの反論がくる(ありていに言うと訳語で揉める)ことも容易に予測できますし、研究者間だけで特権的に決めてほしい、ということではありません。それでも、私はそれは仕事として、勇気をもって取り組んで頂きたいことだと考えています。結果、その日本語が定着せず、一般に先に広がったカタカナ語になるとしても。私には、そうした「どのみち定着しない」「どのみち他のルートからカタカナ語が定着する」の前に、できるはずの仕事を放棄しているように見えます。

「業界のカタカナ語」を揶揄する冗談が、時々世間にでまわります。一番おもしろおかしく語られるのが、芸能界・広告業界でしょうか。また、売り場案内のカタカナ語が伝わらず、結局書き直される、ということも生じていたようです。

https://twitter.com/ro_ki_/status/953915189006540800

(2018年1月18日午後6:01の投稿、文房具店ロフトの売り場案内で「ホームソリューション」が「生活雑貨のフロア」などと書き直されている)

こうした他愛のない事例や、先端の意識を競い合うような業界内のことをわざわざ非難したいとは思いません。先述したように、いずれ、日本語が消滅することを(私は)受け入れているからです。

しかし、下記のカタカナ語は、みなさんひとつずつ説明ができる、もしくは違いをイメージできるでしょうか。

バリアフリー
ユニバーサルデザイン
ダイバーシティ
ノーマライゼーション
インクルーシブ

いずれも福祉や教育をめぐる言葉です。

私はできませんでした。

これらは、もっと生活に定着し、弱い立場にある人たちを支え、私たちの社会・生活を豊かにする言葉・概念です。これらは「カタカナ語」が日本で概念を定着させることを阻んでいる一因である、と考えるのは大げさでしょうか。

だれの、何のための翻訳・カタカナ語でしょうか。

 

またいずれの別の稿にわけて詳述したいと思ってますが「すべての差別に反対する」という言葉も、理念として言いたいことはわかるのですが、現実的にはさまざまな相反する状況を含んでいます。それに対しての調停は必要となります(堅田香緒里「セーファースペースとは」『セーファースペース』タバブックス、2023年、6ページ、15-16行目)。

私たちは、概念の輸入とあわせて、その語の定着自体も取り組む、できうること、現実の調停としての、日本語化はなされるべきことのように思います。

 

繰り返しですが、すでに定着したカタカナ語をとりあげるようなことなどナショナリズムとして「カタカナ語を排除し日本語を死守せよ」ということではありません。

「より安全」を考え、まだドメスティックな問題を多く抱える日本社会を改善したい、という気持ちで翻訳をし、さまざまな多様・共生の社会・文化を目指すのであれば「カタカナ語」の輸入に関して、今一度留意して頂きたいのです。

 

 

最後に、それであれば、ということでの「safer space」の訳語を自分なりに作りました。

 

隣場(となりば・りんじょう、safer space)

 

読みは「となりば」としますが、音読みも可としています。また、表記する際は、元の語に配慮して「隣場(safer space)」と表示するようにします。

元の語の「安全」という意味や、ポイントである「より」というニュアンスをすべてくみ上げようとすると、直接的に対応する日本語はなく「より安全な場所」といった文章になってしまいます。その「すべてを汲む」「対応する」は、今までなかった語なわけですから、そもそもできないことなのです。先述の「哲学」も欧米の語へ直接的に対応している言葉ではありません。

「隣場」という漢字の先行使用例としては2020年の東京ビエンナーレで西原珉さんのプロジェクト「トナリバー」として使用されたことがあるようですが、「バー(bar)」も含意しておられ、今回の使用と重なる問題点はなさそうです。

https://tb2020.jp/news/tonari-bar/

この語が、今後、定着するかはわかりません。正直に言えば、あまり、高いとは思えていません。

それでも、私は、何もいわずにただ受け入れるのではなく、この地獄の社会を「より安全に」するこころざしは共にする者として、ここに提案をします。

それは

セーファースペースは、差別や暴力を最小化する空間を作る、あるいは作り続けていく、「終わりのないプロセス」である。(堅田香緒里「セーファースペースとは」『セーファースペース』タバブックス、2023年)

 

に賛同しているから、です。

 

 

冒頭のお客様の問い。

今後は「マルジナリア書店は『となりば』です」と答えます。