小林えみのブログ

本の紹介やその周辺、社会のこと

「出版産業・書籍関係業界全体」と「複本問題という一部の出版社のキャンペーン」

 想像力は力だ。将棋棋士藤井聡太さんによる、長い歴史の検討を超えた思わぬ一手が人を惹きつける。それは私たちが今と違う未来を想像できることをおしえてくれる。

 一九九六年をピークに、出版販売額の右肩下がりはずっと続いている(『出版指標 年報 2020年版』参照)。
 しかし、その中でも売り伸ばしている分野もある。ひとつは電子書籍。そして児童書は出版全体の中での比率は高くはないものの売上を伸ばしてきている。また、単体で売れるコンテンツが、コミックはいくつもあるし、他分野でも近年では『君たちはどう生きるか』や『サピエンス全史』などはビッグヒットを記録した。旧来の制作販売流通の仕組み上での業界全体の出版不況はあるが、仕組みの転換やコンテンツの見極めでまだ本は売れる状況ということだ。ただ、会社単位などで元気なところはあったとしても、業界全体のマイナスをまた盛り返せるか、というと、「日本語を母語とする人口減少のトレンド」や「趣味の多様化」などを考えれば、難しいと言わざるを得ない(他言語の展開が本格化すれば、まだ可能性はあるかもしれない)。
 ただ、私は出版業界の「経済成長(全盛期への回復)」に興味はないし、それでも出版の明るい未来は描けると思っている。
 本が買われなくても読まれ続けるのであれば、それが一番大事なことだ。

 とはいえ、本が何の準備もなくまったく売れなくなると困る人が大勢いるし、「売れなくてよい/売らなくてよい」ということではない。「経済成長は不要」は「経済活動ゼロへ」とは異なる。
 現状の出版業界の一番のボトルネックは、流通コストだ。これに関連して日本出版販売(日販)の社長・奥村景二氏が日販通信noteのインタビュー(二〇二〇年九月四日、インタビュー諸山誠氏)で、コストの適正化を計画していくと同時に「消費者にとって「安い」のは好ましいことですが、本に限って言えば別次元の話です」と本の価格帯をあげることを提案している。
 私も基本的にこの提案には賛成だ。薄利多売でも、版元や著者は数がまとまれば多額の収益化をはかることができるが、各小売店、特に都市部ではない地域の書店においては「多売」の限界がある。単価だけをみれば一リットルの牛乳がコンビニで二〇〇円なのは本より安いが、そうした消耗品は今日買った人が明日も買う、一人が複数回の購入をする。まったく同じ四四〇円のコミックを熱心なファン以外が複数冊買うことは稀だ。
 「現状の仕組みの中で」きちんと小売店の現場、その人件費を支えるのであれば、単価はあげていくべきだ。もちろん、それで部数が下がるものもでてくるかもしれないが、「そこで選ばれる書籍であるかどうか」は良質なコンテンツをつくることにつながり、粗製乱造の抑止にもなるはずだ。
 しかし、その場合の問題として「高い本を買える人の書籍の選択肢が増え、買えない人の選択肢が減る」可能性がでてくる。
 私は、どんな環境にいるだれでも自由に情報へアクセスできることが望ましいと考える。もっとコンテンツを経済中心の仕組みから公共に開放することが必要だ。
 公共的(パブリック)な出版(パブリッシング)は可能なはず。
 色々な方面から出版の公共を考えることはできるが、今回取り上げる大きな鍵はすでにパブリックな存在である公共図書館だ。

 商業出版の歴史は、決して長くはない。一般的に、グーテンベルグ活版印刷技術の普及以降、多くの人が本を個人所有することが可能になり、本を売り買いする仕事、本に書く仕事が発展した。いまのあり方は、人類にとって変えてはならない前提ではなく、時代や技術に応じて変化するものだ。
 いま、漫画は多くの電子プラットホームで無償公開されている。期間限定で全話、最新話だけなど公開の幅や上限は異なるが、手塚治虫の時代なら考えられないことだろう。そのうえで個別や読み放題サブスクリプションなど有償で利益をあげ、著者には支払いがされている(個別の契約条件の問題は存在するかもしれないが、全面的な無償労働を前提とした仕組みではない、という意味で)。そのように、商業圏の中においてもコンテンツが有償か無償かは、扱う仕組みの問題でしかない。
 一方、図書館は本を利用社に対して売るという仕組みとは直接的には関わらない、無償のコンテンツ提供の一番大きなプラットホーム、公共施設だ。図書館がさらに本と親しむ場として存在感を増すことができれば、経済格差によるコンテンツへのアクセス格差をなくすことができる。

 しかし、図書館が無償で本を読める場であることに対して、版元からは折に触れて苦情が申し立てられてきた。近年では二〇一五年の全国図書館大会で新潮社社長の佐藤隆信氏が複本について、二〇一七年の同会で文芸春秋社長の松井清人社長が文庫について、いずれも「図書館での貸し出しが本の販売の阻害となる」という主旨の発言をしている。関連の松井清人氏のインタビューでの発言「あの発言で本当にお伝えしたかったのは、「読書のマインド」です。本は基本的に本屋さんで買うものという意識です。」(弁護士ドットコム二〇一七年一〇月二七日)には反対だ。それは「基本的」なことではなく、「今の仕組み」上の必要に応じた話でしかない。

 しかし、いかに版元が既存の販売の仕組みを護持しようとしていても、社会や技術が変わっていく中で、それは変わっていかざるを得ない。
 著作権については、著作権を保持したまま作品を自由に流通させることができるクリエイティブ公共ズという仕組みがある。
 既存の商業出版のルートではない同人誌やZINEの市場も、コロナ禍等で二〇二〇年は少し停滞気味ではあるものの、数年のトレンドのなかでは活気を呈している。
 今のところ動きは目立たないが、電子書籍も著者がダイレクトに読者へ自分の著作物を届けることができる。
 商業出版の枠組みを揺るがすのは図書館だけではないし、それは出版文化の衰退とはイコールではなく、むしろ多様なあり方に開かれているのだ。
 コンテンツはもっと軽やかに読者の手に届こうとしている。

 図書館において、複本や文庫は紙の本の関連トピックだが、デジタルの書籍の扱いについても進行している(電子書籍の取り扱い、複写サービスの送信など)。もちろん、それもあまり版元から歓迎されているとは言い難い。
 図書館の電子化は、かねてより進行してきたことだが、決してスピード感のある動きではなかった。しかし、コロナ禍によって、人や物の接触を減らす動きの中で、電子書籍や電子化された資料の貸し出しは急激に社会のニーズとなった。現状、郵送か手渡しの複写サービスを公衆送信に対応させる著作権法三一条一項一号の法改正が実現すれば、利用者は電子的に一般的な本の一部を入手できるようになる。これに関しては無限定ではないし(入手困難本と扱いをわけている)、市場への配慮した担保や権利者へ補償金の制度が予定はされている(二〇二〇年一一月執筆現在)。

 ここからは、少し空想的な発想であることをお許しいただきたい。私は、コンテンツはある程度の関係者の生活保証程度の経済活動が担えれば、より多くの利益を確保する必要はないと考えている。コンテンツは私的に生まれたものかもしれないが、それは人類の共通財産として、広く読まれるために開放されるべきだ(ただし、著作人格権は現在と同じように、財産権より強い権利は主張されてよいだろう)。
 ただ、新潮社の佐藤氏の発言が「著者からの声が強く、放置できないほどになっている」というように(『新文化』二〇一五年一一月一一日)、この発言を鵜呑みにするわけではないが、経済的インセンティブが著者にとって大事なモチベーションとなることは理解できる。
 しかし、宮沢賢治カフカ、歴史的な著作を残した書き手が、必ずしも書くことで経済的に豊かになったわけではない。それはそれで問題だが、彼らは儲かるから書いたわけではない。彼らだけに限らず、版元として、現在、著者から「本をできるだけ安く作ってほしい」と言われることが少なくない。理由は「その方が読者が買いやすいから」。安くても多く売った方が利益が出る場合もあるが、この場合の発言は、「その方が多くの人に読まれるから」であろう。経済が回らなければ文化が停滞する、ということはない。書きたい人は書きたいから書く。
 しかし、私自身が版元という立場で本をつくることで生計をたてており、多くの関係者(デザイナーや印刷所など)に支払をして、ようやく本を世にだしている。社会全体が保障の薄い新自由主義的な状況であり、その中で公共の利益のために、出版においてだけ理想的な公共理念を重視して著者や関係者に有利ではない条件を押し付けて、やりがい搾取をすることになってはいけない。また、利用者もただ本が読めれば良いということではなく、本を個人所有する楽しみもあるだろう。急激な改革ではなく、ゆるやかに、現在の出版不況からスライドする形で、経済的には、権利者に対して一定の補償や諸制度でのケアは担保しつつ、ゆるやかに公共へ開かれていくことが望ましい。版元の機能、編集や販促・営業の業務自体もなくなるのではなく、著者のエージェント業や図書館の選書機能などに変わっていくことはできる。変化を、違う未来を想像することを恐れてはいけない。

 現状の出版産業の枠組みの未来は明るくはない。
 しかし、新たなコンテンツが生まれること、出版という営みが形を変えていきつつも人類に美しい何かをもたらす可能性はまだ広く開かれている。一見、奇手にみえるかもしれない新しい一手の創造が、より良い世界をつくっていく。
 私たちは、まだこれから本で、出版で、わくわくすることができる。

 

※本稿は2020/12/25刊行の『早稲田文学 2020年冬号』へ寄稿した「コモンでつくる出版の未来」を改題、ごく一部の語を変更して掲載

早稲田文学 24号 2020年冬 第十次 | NDLサーチ | 国立国会図書館