小林えみのブログ

本の紹介やその周辺、社会のこと

うそっこばなし

私が小説を書くのは、昔から「うそっこばなし」をしていたからだ。
それは単純な「嘘をつく」とは違って、架空の話、物語をまぜこむということだ。
たとえば、親にだまってプリンを勝手に食べ、「食べたでしょ?」と聞かれて「ううん、食べていない」と答えるのは「嘘をつく」。
「うそっこばなし」は、道でアリを見つけたら、「実はこのアリは本当はカエルだったんだけど、なぜかアリになっちゃって、でもカエルのことを仲間だと思ってるから近寄って行っては食べられそうになって、逃げて来ているんだよ」と、必要のない物語を付加する。
なぜそういう「架空の話」をするのか、それがどこから湧いてくるのかは自分にはわからない。

 

大人になった今でも「たとえ話」が多い、と言われる。
うまくはまることもあるけれど、「たとえ話」がすべると、話がかえってわかりにくくなったりする。

しかし、なぜか、物語る。

 

先日、鳩サブレーを頂いた。それをうちにも持ち帰ってパートナーに渡すとき、ネコを一緒につれていって「鳩サブレは、鎌倉のネコちゃんが鳩をとって、ぎゅってして作っていて、それを鎌倉のネコちゃんからもらったんだよ」とネコに語らせて(後ろで勝手にアテレコをして)、パートナーに渡した。
大人なので、もちろん、そのあとで「頂き物で」と普通に説明もする。

ただ、もうそういうものが勝手に、次々にいくらでも湧いてくる。

 

そういうものの延長で、小説を書いている。
だから、長編は書いているが、前提に大きなテーマ設定はない。発想ありきなので発想があればいくらでも書けるし、逆にテーマを決めて書くということは多分できない。例えばフェミニズムをテーマに今どきの出版界の女性事情を書いてほしい、とお題を与えられたら、データをそろえてノンフィクションのルポを書くだろう。

 

うそっこばなしがどうなっていくのか、よくわからないが、最近、そうして書いたものたちを面白がってもらえることも増えたので、「どういう風に書いているか」を改めて記した。

 

まだ読んでいない、読んでみようかな、と思われた方は、下記をお読みいただきたい。

 

yorunoyohaku.com