午前0:15 · 2021年2月9日 以降連ツイ
前回の #わきまえない女 たちに出演させて頂きました。 ただ、これには一瞬血の気がひき、でも他の出演者の方たちも「楽しみ」とされていて、「あれ、私の過剰反応かな?」と思ったけれど、富永京子@nomikaishiyouzeさんのツイートに励まされ、ツイートします。 これじゃない。
知人も多く、今もツイートでこんなに緊張したことがないくらい口の中がものすごく乾いてますが……。
お一人ずつは悪くありません。
ただこのように著名な/社会的地位のある男性が集まることで生じるマチズモや権力性のことを、考えてほしいです。それを解体するのだ、であれば別のやり方があるはず。
変わらない男より、変わる男の方が良いに決まっている。ただ、それがこのように教導するような宣言をされるものであるならば、おそらくそれは強い者たちのスローガンと免罪符にしかならないだろう。
「聞いてみないとわからないじゃん」という意見もありそうだけれど、過去、同じようなことを何度も体験した。
ある編集会議で、ふだんから「フェミニズム」を口にする同年代/年下の男性たちに「女性の書き手がいない」ことを指摘したら笑いながら「あ、忘れてた。どこかにいれられねえかな」といわれたこと。
慰安婦問題やレイプなど性犯罪性が強い話題では女性の支援の立場をとるのに、私でも怖いことがあった、という話をしたら「小林さんもモテるじゃん!」と言い放たれたこと。
私は女性だけれど。
従業員より強い立場だ。子供より強い立場だ。
社会的には、身体に支障のある方たちより、強い立場だ。
私が良いように語れば語るほど、私が実際にできていないこととその優位性の間は広がるだろう。
語ってはいけない、ということではないけれど、語ることには、ある種の慎重さや実際の立場や状況、実践との重みの受け止めがなければいけないだろう。
今回は、こんなに男性が集まってしまったこと自体が、いかに良い語りが展開されても、その良さをも損なうのではないか、と思うほどに、強い。
連帯は必要だ。
だけど、私はこの男性「群」と無理に連帯しない。
先日の出演者の女性たちと意見が割れることも恐れない。
富永さんともお友達という距離感ではない。
間違うくらいなら、荒野に一人でいい。
寄り集まるなら、弱者たちと寄り集まりたい。
罪への誘惑 マタイ18.8
「もし片方の手や足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になって命に入る方がよい。」
この違和感を、なんとなくごまかしてしまったら「変わらない」。
しかし、ぐったりする。